
弱冠16歳で韓国からボート・ピープルのように着の身着のまま渡日した少年が、裸一貫から2兆円のトップ企業をつくった。
栄養失調と結核で生死をさまよいながらも法政大学を卒業。23歳でパチンコ店開業、周囲の反対を押し切って日本人と結婚、喫茶店・レストランの大成功、ボウリング事業の大失敗、自殺を思いとどまり天文学的数字の借金を返済、愛息の事故死、JCの入会拒否、フィーバー機による起死回生、渋谷パチンコタワーの快挙、ライバル企業との競争、ドラゴン銀行設立の挫折、1兆円達成の式典と、波瀾万丈の人生を、持ち前の危機感と緊張感、ハングリーさとチャレンジ精神で、乗り越えながら人生の不運を幸運に変えてきた。
今、「パチンコ王」と呼ばれる韓 昌祐は、清新な哲学をもって、パチンコ業界の健全化に全社一丸となって挑戦している。

