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金持ち3代 貧乏5代
 
当社の中国支局で2年ほど仕事をしてもらった丁さんは、昨年に続き、今年も伴侶とともに、当社を訪ねてくれた。いまは中国・四川にある東芝の下請け会社の御曹司夫人になっている。

「急成長する中国で、伸長著しいエレクトロニクス業界の跡取り息子とは、なんともうらやましい話です」というと、「中国では昔から、金持ち三代、貧乏五代というので、いつまでも続くものではありません」という言葉が返ってきて、さすがだなと思った。

長い歴史をもち、しかも多くの人が出来事と精神の記録を残してきた中国の歴史からみると、そういう事例がたくさんあったのだろう。日本でも「3代目は身代くずす」という言葉がある。しかし、貧乏5代という言葉に出会ったのは初めてだった。

金持ち3代、というのをもうちょっと考えてみよう。

いかなる金持ちも、3代目に何らかのトラブルによって家が没落するという。1代目がいて、その子供は初代の奮迅の努力を見ているから、努力の価値を知っている。しかし、自分の子供(初代の孫)には、そういう苦労はさせたくない、と過保護に育てる。その孫が長じると、依頼心が強かったり、贅沢が身に付いていて家の財産を食いつぶす。3代目は生まれながらの金持ちの子供で人生をスタートする。それが後には災いに転じるという。

これに「貧乏5代」をつなげてみると、3代目で家が没落して、4代目は貧乏な家で育つ。それが貧乏の初代だ。その子・5代目は生まれつきの貧乏。そしてその子・6代目も貧乏だ。6代目は思っている「うちの家は代々貧乏なのだ」と。しかし、6代目は辛抱強く、コツコツ働く。そこに「家貧しくして孝子 顕わる」。7代目になかなか孝心のある子が出てくる。よく働き、家族を大切にする。そういう家にいよいよ8代目として、次の家系を興す人物が現れてくる。

没落した4代目から数えて5代あとだ。1代目から数えて8代後に家が再興する。1代を平均25年と見ると200年。今から200年前というと、水戸光圀が活躍していた時代。ひとつの家系が創まり、繁栄して没落。そして次の創始者が出るまでの時間は、一人の人間としてはあまりに長いと思うのは、私だけだろうか。

2009年、私たちは世界にとって歴史的な出来事をみた。オバマ大統領の誕生である。周知のことだが、オバマ氏の祖父はケニヤに住んでいたイギリス人の召使い料理人だった。この人が偉かった。息子の能力を信じ、自分と同じ人生を歩ませてはいけないと懸命に働いて、息子に教育をつけ、その子がハワイ大学へと留学する。そこでパールハーバーに勤めていた軍属の娘と出会ってオバマ氏が生まれるが、すぐにハーバード大学への入学が許可されて、妻子をおいたまま旅たってしまう。残された妻はインドネシア人と再婚して、ジャカルタに移住。オバマ氏はハワイで2部屋とキッチンという家で、祖父母に育てられる。不遇な少年時代だった。

祖父母にしたら、ケニアから来た黒人に生まされた孫の養育は、周囲の目もあり、さぞかしつらかっただろう。しかし、この祖父母が偉かった。オバマ氏を地域でもトップクラスの学校に通わせて、教育をつけた。そして単科大学を経てコロンビア大学を卒業。出版社勤務など、5年の社会経験の後、ハーバード大学法科大学院へ入学したところから、オバマ氏の今日へのドラマが始まっている。この物語を見ても、祖父母が偉かったように思える。

私たちは、自分の人生を歩んでいると思っている。しかし、世代を俯瞰してみると、良くも悪くも、上の世代から大きな影響を受け、下の世代に多大な業(ゴウ)を残している。

自分の人生の開拓は、自分一代では終わらないと考えると、懸命に生きることは、自分のためだけでなく、後の世代によい影響をどれほど残せるか、につながる。日々、おろそかにはできない。
                                                     浅田厚志
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インフルエンザの大阪
いったいどこから入ってきたんだろう。成田は厳重警戒、まさか背中を突かれて、関西から感染が始まるとは思ってもいなかった。

当社には、大阪本社に20人、東京本部に40人が勤務している。今週の月曜日から大阪では、マスク着用は家に帰るまで、玄関に消毒液をおいて、社員のみならず、来客のみなさまにもご協力をお願いしてきた。また、社員が熱を出した場合は、すぐに浅田の携帯に電話をするように徹底した。熱は当初、37.5度以上としたが、感染者が広がった段階で、37度とした。

とにかく当社の中に、感染者がでると、会社名が発表になるので、それが怖かった。顧客との取引にも差し障ってくることが考えられるからだ。

17日・日曜日の夜21時に大阪勤務の経理の女性(Yさん)から「38度を超す熱がでました」という連絡が入ったときは、「えやいこっちゃ!」と、まずは会社の今後のことに思いがいってしまったが、本当は、Yさんの体調こそ、もっと意識を払わなければならなかったと反省している。結局、Yさんはインフルではなかったことが判明して助かったが、今後の教訓としなければならない。

こういうとき、両方にスタッフがいて、両方で本社機能を持ちうる組織を作ってきたことに安堵する。
大阪にはマスクが売りきれとなったらしいので、東京で買ってすぐに送ってくれた。仲間が増えていく、ということは、こういうときにこそ物心両面からの支えになってくれるのだ、とありがたく思った。

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高すぎる跳び箱


いよいよ青学での大学院生活が始まった。前期(7月中旬まで)は、5科目をとることとした。10教科ほどに興味があったが、仕事との兼ね合いと時間帯を加味して選択した。その中に、「マネジメント論」と「企業倫理とCSR」という科目がある。

 学卒の院生2,3人と教授との事前レポートを準備して臨む少人数ディスカッション形式の授業だから、気が抜けない。サボったらすぐばれる。いや、サボるどころか、いまのところ、むさぼるように食いついている。ずっと学びたかった教科だからだ。

 CSRの授業では、アダム・スミスの『国富論』をざっとなめた上で、現代経営の考え方との違いを話し合うことから始まった。スミスの考えていた企業倫理とはどのようなものか。18世紀のスコットランドが舞台であり、その時代背景とビジネスを思い浮かべながらの議論となる。小生のことを、経営者であることを知らないうちに、教授から心臓を一突きされた。

 「企業は、社会の僕であるはずだった」。しばらく、次の言葉が出なかった。・・・しもべ?・・・そうか、そこまで言われるか。じゃ、経営者というのは、社会からの命令と管理の下に経営をし、失敗したらすべての責任をとらされる、というなんとも割の合わない仕事じゃないか、と思えてしまった。
いやいや、逆かもしれない。企業を今のような形にしたのはこの時代の私たちであって、以前は違ったであろう。18世紀の企業人は、「そこまでやるか」と私たちの行状を見ているのかもしれない。しかし、いまの私にその感覚はわからない。

マネジメント論の教授から「いま、経営学で注目を集めている経営論がこれです」と紹介されたのは、東大の高橋伸夫教授の『コアテキスト 経営学入門』で、小樽商科大卒から東大教授になった51歳(小生と同い年)気鋭の経営学者らしい。日本における成果主義の挫折を解き、年功序列、終身雇用、長時間労働は日本特有の経営手法であり、これらを復活させるべきと説いている。しかも、さまざまな反論にさらされて、その存在を認められたらしい。ここで心臓に2本目の槍を立てられた思いがした。

詳しい内容は、まだわからない。真正面から、対峙しようと思ってはいるが、相当の勇気が要りそうだ。上記の2論について、小生も現在の経営様式にもってくるまで、時には社員と対立し、眠れぬ夜を過ごしながら、折り合いをみつけて作ってきた。社員にも小生にも、苦心の産物であった。それをいとも簡単に否定されてしまう。心底悔しい、のである。「机の上で、理屈を捏ね回しているあなたたちに何がわかるんだ!」という言葉が、口をついてしまう。

しかし「学舎の中でそれを言ったらおしまい」だ。そうせずして、どのように上記2論とわが経営の差異を見出し、分析し、何を学び取るのか。悔しさと不安と期待で胸が張り裂けそうなのだ。

実践の経営と理論の経営、いずれが上下ということはなかろう。しかし、実践の経営は理論によって補完される、と考えると、やはり理論の経営のほうが高次であり、完全性が高いと思われ、なんとも度し難い。反対に、理論の経営は、実践によって裏付けられる、と言うと学者たちは納得しないだろう。

ここはひとつ冷静に、役割が違う、という解釈をしようと試みている。理論も実践も社会をリードしており、互いに影響しあい、向き合った鏡のようなものと考えてみようと思っている。だが、冷静さを保てる自信は、まだない。早朝に本を読みながら、「そんなばかな」「それは違う」と叫ぶ自分にハッとするのである。

ただ、これこそが小生に足らなかったものであり、難問の嵐の中で、新しい自分の経営を探っていかなければならない。いま、眼前に大きな跳び箱が立ちはだかった。10数段もある。果たして跳べるか? 今までの私では跳べない。殻を破る大きなチャンスか。苦しい自問自答が始まった。
人生の大きな一区切り

久しぶりに、このブログに書き足します。

実のところ、昨日の3月15日の日曜日午後3:30まで、たいへん多忙な時間を過ごしてきました。と言いますのは、07年12月に大学院への進学を考えて、受験勉強を開始しました。目指すは東京大学大学院経済学研究科。試験はできたはずですが、24人中8人に入れませんでした。
そこで学科と教授の内容から、青山学院大学大学院総合文化政策学研究科(修士)に的を絞って受験をし12月に合格。そのあと、2年後の博士課程に進む時に必要なTOEICの受験勉強をして、その試験が昨日に終わったわけです。青学は経営史や社史を執筆している教授が多く、面白い議論ができそうなところから選びました。

昨日の夕方からは妻と映画、食事で久しぶりにゆっくりした時間を過ごしました。今朝から大阪出張ですけれども・・・。

というわけで、4月からは経営と大学院の二足のわらじになります。いまよりさらに忙しくなるわけですが、経営25年で、創業型のまま今日を迎えましたので、ここで意識的に自分を2代目経営者にしよう、としています。当社を伸ばすためには、小生の成長が必要だと思うからです。
浅田厚志

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良いところをみながら仕事をしたい!
今年、小生は銀婚式を迎えました。25年です。皇太子は水晶婚らしい。結婚当初から5年ぐらいまで、妻にずっと言っていたのは、「どんなことがあっても、離婚はしない」ということだった。妻は「エーッ」とか言っていたけれど、まず、妻を守る立場の小生からそのように宣言することで、妻を安心させ、何10年と一緒にいるわけだから、何が何でもよい人間関係を築いていかないと、家庭は地獄になってしまうと思っていた。小生の両親は仲良くなかったから、絶対そういう夫婦にはなりたくない、という思いから先行宣言をしたのだった。

結婚当初、箸の上げ下げから、みそ汁の濃さまでいろんなことがお互いに気にくわなくて、またそれまでのライフスタイルが違うので、「今日は何で機嫌が悪いのかな・・・?」とわからなくて、いぶかったものだった。互いの悪いところはすぐに目に付く、そしてそれをことさら取り上げて文句を言うと、相手がブスッとしてしまって、よけいにものが言いにくくなる。こういうことは、何度となくあった。

人間関係の仲でもっとも難しい夫婦の間で良い関係を築ければ、社会での人間関係は、まだやりやすい方だと思う。実際のところ、夫婦でもめてたら仕事にも身が入らなくなるものだ。

良い人間関係を作るには、なんと言っても、相手の良いところを探すこと。わかっているけどなかなか難しい。それでも探す。努力して探す。そうすると、少しずつ見えて来る。

周囲の人、とくに近しい人たちの良いところを見つけられるかどうかは、まさにその人の人間関係力によってくる。上司、同僚、部下、みなさんは必ず良いところがある。それを努めて見つけて、注目するようにしたい。人間関係は鏡だから、相手も少しずつ自分を認めてくれるようになる。

独身の人でも同じで、人間関係の練習は、実は家族関係にこそある。切っても切れないのが家族、親族。そこは何が何でも、長年つきあっていかなければならない。だからこそ、お互いに遠慮のない人間関係になってしまう。そういう中でよい人間関係を築ければ、ビジネス社会でも、その人の人間関係力として発揮されるに違いない。

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